このページは趣味で史跡をめぐる旅の記録です。旅のご参考にして頂けたら幸いです。

松下村塾ゆかりの旅山口県萩市・光市(旧大和町)
 萩市内を見渡せる丘の中腹に吉田松陰の生家跡やお墓などがあります。松陰先生の生誕地の碑文は、総理大臣・陸軍元帥の山縣有朋が書いています。この書は山縣の絶筆でもあり、肩書きのところが「内閣総理大臣」「陸軍元帥」でもなく「門下生」と記してあるところに、山縣の松陰先生への尊敬の念が伺われます。
吉田松陰先生のお墓には今でも多くの方々がお参りに来られます。高杉晋作や久坂玄瑞らのお墓も並んで建てられています。 吉田松蔭先生が金子重輔とペリーが乗る停泊中のポーハタン号へ赴き、乗船して密航を訴える様子が石碑として建てられています。
松蔭神社は萩でも屈指の観光スポットとして多くの観光客が来ていました。 松蔭神社の境内にある松下村塾です。この小さな塾で多くの志士が学びました。
萩の旧城下町の中にある萩博物館です。幕末の長州藩や吉田松陰、高杉晋作等の展示は見事です。ボランティアによる丁寧な解説されています。 松下村塾出身で司法大臣を務めた山田顕義像です。生誕地が小さな公園として綺麗に整備されています。日本大学・國學院大學の学祖でもあります。
山口県光市にある。伊藤博文の生家です。本当に典型的なド田舎です。山と田んぼしかない地にあります。でもかなり癒される風景でもあります。 手前は伊藤が生前に立てた建て物で奥のレンガ作りの建物が伊藤公資料館です。伊藤博文に関する様々な資料が展示されています。



山田方谷先生ゆかりの旅岡山県高梁市・新見市
 山田方谷先生とは、幕末の政治家、財政家、教育者。備中松山藩領阿賀郡西方村(現高梁市中井町西方)に生まれる。5歳で丸川松隠のもとで朱子学を学ぶ。周囲の人々から神童といわれる。不幸にして14歳で母を、翌年父を失うが、遺訓によって農商のかたわら日夜学問に励む。
 文政8年(1825)、篤学の名声広まり備中松山藩主板倉勝職より2人扶持を支給され、25歳の時には藩校有終館会頭(教頭)に抜擢される。江戸で佐藤一齊に主として陽明学を学び、佐久間象山や塩谷宕陰らの学友と学問、研究に没頭した。天保7年(1836)帰藩し、翌年有終館学頭(校長)に昇進した。藩内の子弟は初めて学問をすることの意義を知り精励した。
 天保9年、家塾牛麓舎をおこし、三島毅(号は中洲)らが学ぶ。嘉永2年(1849)、板倉勝静が藩主となり、元締役兼吟味役として藩財政の立て直しのため、藩政改革の大任を与えられた。安政4年(1857)までの8年間に産業振興を中軸に行政、財政、兵制、教育の各分野の改革を計画的に進め藩政改革を成功させる。
 藩主板倉勝静は、徳川幕府最後の老中首座となり幕政の中心人物となる。方谷はその政治顧問として国政の舞台で活躍する。安政5年長州藩士久坂玄瑞、翌安政6年長岡藩士河井継之助が来遊する。家を長瀬の里(現方谷駅)に移し、水山に陸田を開く。
 明治元年(1868)松山城の無血開城を実現し、主君や領民の安全を守る。以後は世事をさけ専ら後進の教育に心血を注ぐ。方谷の長瀬塾、小阪部塾には全国から学徒が集まり、門下生は千人を越えたといわれ教育に偉大な足跡を残す。
 明治6年には、閉鎖されていた閑谷学校の再興につくし、以歿年まで春秋二回の講義を欠かさなかった。「備中聖人」と称せられる。著書に「義喪私議」「献策国字稿」「集義和書類抄」など多数あり、「山田方谷全集」三冊に収められている。明治10年73歳、小阪部塾舎にて没す。
日本一高い場所にあるお城で有名な備中松山城。忠臣蔵で有名な大石内蔵助もこの山城で1年ほど過ごしたそうです。 山田方谷はこの備中松山城で、藩主板倉勝静(後の老中)と共に藩政改革に実行し、10万両の赤字をわずか8年で10万両の蓄えを残す。
8合目の駐車場から本丸まで、険しい山道が続きます。 備中松山城の本丸から城下町(岡山県高梁市)が一望できます。
山田方谷先生が造った私塾「牛麓舎」の石碑。方谷先生は藩校有終館で藩士の子供の教育をしながら、ここ牛麓舎で農民や商人に向けての教育を行いました。この塾から三島中洲(二松学舎大学創設者)などが学びました。 藩政改革成功の一つが、河川整備で藩内で生産された品々を城下に集め高梁川(当時は松山川)から高瀬舟で下り、玉島港から江戸へ運ばれました。この流通革命が藩の財政再建に大きく貢献しました。
方谷園は高梁市中井町西方にあり、山田方谷先生の生誕の地にあります。 ビニールハウスの奥が方谷園になっています。前にはきれいな小川が流れています。
方谷園にある山田家墓地の中のひとつに方谷先生のお墓です。墓の文字は元藩主の板倉勝静によるものです。 新見市大佐(おおさ)にある山田方谷記念館です。岡田館長に資料を一つ一つ丁寧に説明して頂きました。
山田方谷記念館の近くにある方谷庵です。山田方谷先生は晩年ここで過ごされました。 小高い岡に立つ方谷庵から新見市大佐の美しい田園が望めます。
山田方谷に関する情報はこのサイトをご参照下さい


尾道の旅
映画「男たちの大和」の原寸大セットです。戦艦大和の主砲は46センチ3連装砲塔3基(9門)です。 甲板の広さにはただた驚かされました。たくさんの見学者が広島県外からも来場されてました。
戦艦大和の艦首にある菊華紋章はさすがに迫力がありました。 記念にここでしか売っていない大和ラムネソフトクリームを食べました。
このセットは、尾道のドックに大和を艦橋から前部を原寸大で再現した全長190mもの広大なセットです。 約6億円をかけて造られたセットは、対空砲も忠実に再現されていました。
映画で実際に使用されたセットを見ると焦げた跡など詳細に再現されていました。 尾道市街地からフェリーで向島にある大和ロケセット海上へ渡ります。片道60円でした。
真ん中にある造船所に大和のロケセットが造られています。 尾道の千光寺公園から瀬戸内の美しい島々が見られます。
尾道の町といえば急な細い階段です。この階段を上れば有名な千光寺です。 正面にあるのが、瀬戸内しまなみ海道です。


呉の旅
音戸には、平清盛が港湾整備をした時に人柱の代わりに立てた清盛塚があります。 この巨大ドックで超弩級戦艦大和が極秘に建造されました。現在は石川島播磨重工の造船所です。
歴史の見える丘にある大和の塔です。戦艦大和の巨大ドックは、この丘の下にあります。 海上自衛隊呉基地(Fバース)では毎週日曜日に護衛艦の見学ができます。無料です。
この日の見学会では訓練支援艦「くろべ」「てんりゅう」に乗船しました。乗船艦は毎週変わるようです。 乗戦時には海上自衛隊の水兵さんが敬礼で迎えてくます。
自衛艦の見学は、甲板上をはじめかなり自由に見たり触れたりできます。自衛官と一緒に写真撮影もできます。 主な兵器や機器の前では自衛官が丁寧に詳細について教えてくれます。また質問にも気さくに答えてもらえます。
62口径76ミリ速射砲。1分間に100発発射できる能力があります。 チェッカーと呼ばれる標的機です。このチェッカーを目標にミサイルの射撃訓練をします。
護衛艦こんごう型「ちょうかい」。イージス機能を備えた海上自衛隊の最新鋭艦です。 日曜日にもかかわらず多くの海上自衛官が訓練に励んでいました。
海上自衛隊呉基地(Fバース)に隣接する「アレイからすこじま」では、映画「男たちの大和」の撮影も行われました。 潜水艦も近くで見ることができます。艦名はわかりませんでした。
赤レンガが美しい旧呉鎮守府庁舎で現在は呉地方総監部庁舎として使われています。 現在はこの建物には呉の総監室等があり中には入れません。廊下はこのようになっています。
旧海軍墓地には戦艦大和をはじめ戦死した英霊がたくさん眠られています。 多くの戦死者が眠る旧海軍墓地から呉の市街地が一望できます。
「アレイからすこじま」の裏山にある産業神社跡?(神殿などありませんでした)への途中には防空施設がありました。 呉市街の美術館通り美しい松並木と多くの彫刻があります。この坂を上ると入船山記念館や海軍病院跡などがあります。
海軍病院跡には、現在国立病院やがんセンターがあります。 帝国海軍時代の歴代鎮守府長官の官邸跡(官邸は現存見学できます)に海軍の資料館があります。
深海調査で活躍した「しんかい」です。ほかにも水中翼船なども展示してあります。 大和ミュージアムを海側から撮影しました。海側もきれいな公園になっています。
1/10の戦艦大和非常に精巧に作られます。大和の特徴的な形がすぐ近くで見ることができ当時の造船技術の高さが実感できます。 大和ミュージアムの正面玄関付近には戦艦陸奥の「いかり」「主砲」「スクリュー」「舵」などがあります。すべて巨大です。
3階から大和を見ると大きさを実感できます。じっくり見ると2時間はかかります。閉館は5時です。 大和ミュージアムには大和だけでなく日本の造船・海軍・港町呉の歴史などを学ぶことが着ます。
大和ミュージアムには海軍の資料だけでなく、ゼロ戦なども展示されいます。宇宙戦艦大和コーナーもありました。 大和ミュージアムの近くに海上自衛隊の教育施設があり呉の街では若い水兵さんをよく見かけます。
呉の旅お勧めのルート(基本的に日曜日しか海上自衛隊関係の施設は見学できません。)
@※10時から海上自衛隊呉基地(Fバース)での護衛艦見学(車で基地には入れます。)
A歴史の見える丘から石川島播磨重工の戦艦大和が造られた巨大ドックが見られます。
B隣接する「アレイからすこじま」や赤レンガの倉庫を見る。
C※呉地方総監部庁舎の見学(車で基地に入れます)
D大和ミュージアム
E入船山記念館
F旧海軍墓地
※は入場時間が決められていますので事前にご確認下さい。


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